コミュの仕立て屋さん ~表現のお直し 承ります~

「ナイス表現!」とかを拾っていったり考えたりするブログ

それからはブラック起業と言わないようにした

お題「私の師匠」

 

 

社会人生活を初めて8年目、これまでで3社を経験しました。

わたしのざっとした職歴はこんな感じ↓

1社目:新聞社で営業(新聞販売店さんと部数をあげるためにあれこれ画策します)

2社目:広告代理店で営業

3社目:学習塾企業で大学受験予備校の運営

 

 

今日はそのうちの2社目の話。

 

1社目の営業、実はけっこうおもしろかったんです。

各地域には必ず例えば読売新聞とか朝日新聞とか日経新聞の販売店があります。各新聞販売店さんは各新聞社から担当地域を割り当てられ、読売新聞の販売店さんならその担当地域内で多くの人に読売新聞を読んでもらうための仕事を行います。

 

 

わたしは新聞販売店の社長さんと話をして、こんなイベントをやろう、こんなものを景品に使ったら喜ばれるんじゃないか、などを話し合う仕事をしていました。

 

ひょんなことから新聞販売店さん独自の看板を作成する機会に恵まれ、ゼロからものを企画する楽しさに目覚め、もともと表現に関することは好きでしたし根っからの文系だったのでやるなら広告代理店だと思い、転職を決意しました。

 

 

この2社目、実は2か月で辞めてます。

きっかけはコミュニケーションの問題。これまでは当たり前すぎて気付かなかったのですが、わたしは話をするときはちゃんと相手と会って話をしたいですし、いわゆるブラックユーモアや、なんと言いますかちょっと人を卑下したジョークはあまり得意ではないんですね。

 

例えば、わたしの教育係にあたる先輩がいたのですが、会話はほぼしなかったです。なぜなら全てチャットでのやり取りだったから。

 

ある日、わたしが受け取った電話に対して「今の電話、もっと●●した方が●●になるよ」というアドバイスをチャットで返してくれます。先輩とわたしの席は隣同士なのに。

 

その先輩、怒りもチャットで訴えます。よっぽど仕事のやり方に対して思うところがあったのか、チームチャットに18,798文字を費やして送ってきました。いちおう、4回に分けて送信をしていたのは、容量が限界だったのか読みやすくする気遣いだったのかは今では知る由もありません。

 

 

ちょっと昔の話を思い出すと辛くなるのでここまでにしますが、1か月たったころには会社に行きたくない病を発病していました。最寄駅になると毎回お腹を壊したり、その会社は日比谷線内にあったのですが、ちゃんと意識はあるのに、会社の駅と反対側の電車に乗っていたり…。

 

 

ということでいまの妻に「辞めな!」と言われ、泣きながら辞めました。半年後に結婚式を控えていたのに。今の妻には頭があがりません。

 

 

辞めたことに悔いはないのですが、それでも一個だけ残っているのは、優しくしてくれた別部署の先輩のこと。その先輩も剣道をしていたことがあっておかげでとても面倒を見てくれていました。

 

辞めるときには、せめて良くしてくれた先輩には挨拶をしないと思い、最後の日に先輩に話をしたとき、先輩はこう言いました。

 

 

「えっ、うちの会社ってブラックだったの…?」

 

 

もちろん、この会社はブラックだなんて言いませんし、辞める会社のことを悪く言ってないですよ。その時の先輩の残念そうな顔は今でも忘れません。

 

 

 

その人にとっては、本当に働きごこちの良い会社だったんだと思います。

このときに、白色を好む人もいれば黒色を好む人もいる。「黒なんて汚れるからキライ!」と言ってしまえば好きな人を傷つけてしまう可能性があることを学びました。

 

 

確かに

・長時間働くことを全く気にしない人からすれば、定時上がりはつまらない。

・福利厚生はしっかりしてるけど、年収が低いかったら生活なんてできない。

 

ライフスタイルによって会社の選び方も違うはずなわけで。

 

 

それからは、ブラック起業は存在しない、ただ、自分がその会社と相性が合わないだけだったんだと考えるようにしています。

 

 

まとめ:わたしの師匠は2社目にお世話になった会社での出来事